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水戸地方裁判所 昭和51年(ワ)418号 判決

原告

白瀧しづい

ほか四名

被告

宮内伸男

ほか一名

主文

被告両名は、各自原告白瀧しづいに対し金九一万六四三三円及びうち金七二万八四三三円に対する昭和五一年四月一七日から右完済にいたるまで年五分の割合による金員を、原告白瀧勝枝、同白瀧信一郎、同白瀧三郎、同白瀧道夫に対し各金四〇万二一六円及びうち各金三六万四二一六円に対する昭和五一年四月一七日から右各完済にいたるまで年五分の割合による各金員を支払え。

原告らのその余の各請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その二を原告らの連帯負担とし、その八を被告らの連帯負担とする。

この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

原告らは、「被告らは各自原告白瀧しづいに対し金一〇七万一八三三円およびうち金八八万三八三三円に対する昭和五一年四月一七日から右完済まで年五分の割合による金員を、原告白瀧勝枝、同白瀧信一郎、同白瀧三郎、同白瀧道夫に対しそれぞれ金四八万五九一六円ずつ及び各うち金四四万五九一六円に対する右各完済まで年五分の割合による各金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決、並びに、仮執行の宣言を求め、請求の原因として次のように述べた。

一  訴外亡白瀧洸(大正七年三月三日生)は、昭和五一年四月一七日午後四時(土曜日、天候曇)、茨城県那珂郡那珂町大字戸崎一六一〇番地の九先道路(県道)上において、被告宮内運転で同人の保有する大型貨物ダンプ自動車(習志野一一に五〇三 以下宮内車という)にひかれて即死した。

二  右事故死の状況は次のようである。

該道路は幅員六九米の東西に走る舗装アスフアルト路であり、直線で見透しは良い。当時、被告株式会社岡部工務店(以下被告会社という)が那珂町からの請負で道路の舗装工事を施行中であつたので、道路の北側半分(工事区間は六米ないし七米の短距離であつた)は舗装工事中で通行禁止であり、南側半分三・四五米の幅員のみが通行可能であつた。すなわち片側通行となつており、中間は段差五糎があつて、北側は工事のため掘り下げられて低くなつていたのである。しかし、現場には通行禁止、或いは片側通行という交通規制標識なく、柵もなく、警戒人員の配置もなかつた。工事人夫もお茶休みのため近くには居なかつた。

白瀧洸は、自動二輪車単車(那珂町二〇号、以下単にバイクという)を運転して西から東へ向つて通行可能な南側半分を通行していたところ、後方から同じ進路を被告宮内が進行して追つてきたので、左側段差近くへ避けたところ、被告宮内はその右側を五〇粁の時速で追い越していつた。宮内車は一一トン車で、砂利を満載し、四トンも積載過重(制限超過)があつたから一五トンも積荷があり、車の重さと合すると二〇トン以上もあるので、その重さと速さが加わつて掘り下げられて不安定となつていた路面が強く振動し、洸のバイクはあをられて段差の左下(北下)へ落ち込み、そのはずみで宮内車側へ倒れ、宮内車の後輪に頭をひかれて死亡したのである。

三  責任原因

(一)  被告宮内の責任

被告宮内は、宮内車による砂利運搬を自己の業務としていたのであるから保有者であり、自賠法三条の保有者責任がある。又通行可能な道路の幅は約三米が安全圏であるところ、宮内車は大型ダンプでその車幅は二・五米から三米位あり、従つて洸がバイクで先行している以上追い越すことは不可能であり、追越すには洸を左側の工事中のところへ避けさせねばならず、不安定とならせるから倒れることも予測できる。又工事中の狭いところを通行するのであるから、殊に超重量なのであるから振動のため危険が予知できるから、振動しないように超低速で進行すべきである。僅か数米のところであるから追越しを控えても無駄な時間はとらせない。すなわち、被告宮内としては、追越しをしないで洸が工事区間を通り抜けて安全区域へ出るまで待つべきである。或いは、超低速で振動しないように進むべきである。しかるに、時速五〇粁という高速で追い越し振動させたものであり、安全運転の法則に反するから、民法七〇九条の過失による不法行為責任がある。

(二)  被告会社の責任

前記の如く道路現場は被告会社が工事中で中間段差があり、幅員狭くなり、追越し不適な状態であるから、被告会社としては、工事中追越し不適又は禁止の標識をつくり、又は警戒人員に交通規制をさせる等して交通の安全をはかるべきものであるのに、何の措置もせずに放置し、右の如くに宮内車の如き大型な危険なものを高速で走らせて結局事故を生ぜしめた。

従つて、被告会社には民法七〇九条の不法行為責任がある。

四  白瀧洸の損害

(一)  逸失利益 六六四万円

白瀧洸は、白瀧輪業という屋号の店舗を出して、従業員は置かずに自転車、単車、農機具等の修理販売を業とし一家の中心として働いていたもので、税務署に対する昭和五一年度の申告によると、所得金額一〇四万七八〇〇円で必要経費二八万五五二〇円であり、利益は七六万二二八〇円となるので、生活費控除を半額とみると一ケ年三八万一一四〇円の損失になるけれども、白瀧洸の実際の収入は一ケ月最低一〇万円はあつたのである。従つて、一ケ月一〇万円の実収とし、一ケ月三万円の生活費として控除すると、右洸の死亡により一ケ月七万円(年間八四万円)の得べかりし利益を失つたことになる。そして自転車修理というのは七〇歳位までは働き得るが、少くとも六八歳までのなお一〇年間は労働が可能であるから一〇年間で八四〇万円となるところ、これをホフマン方式により中間利息を控除して現在得べき一時金に換算すると、その七割九歩で金六六四万円となる。

(二)  慰藉料 一〇〇〇万円

夫婦と子供四人であるが、独立した子は無く全員独身である。長男と長女は外へ出て働いているが未だ独身で固らない。よつて、未だ一家の中心として存在する必要が大であり、欠くことのできないものであるから、慰藉料は一〇〇〇万円を妥当とする。なお、白瀧洸は健康体で病気したことはなく、長命が期待されていた。

(三)  葬式費用 五〇万円

公知の金額というべきである。通常世間並みの葬式を営んだので、五〇万円を妥当とする。

(四)  墓石費用 五〇万円

公知の金額である。世間並の墓石を建てねばならず、この金額は一般的なもので五〇万円を妥当とする。

(五)  医者代 一万一五〇〇円

事故後の診療費である。

以上合計一七六五万一五〇〇円の損失であるが、自賠責保険で昭和五一年六月一五〇〇万円給付されたから残余の純損は二六五万一五〇〇円となる。

五  原告しづいは、亡洸の妻であるから右の三分の一の額である八八万三八三三円、その他の原告はいずれも洸の子であるから右の三分の二の各四分の一ずつ、すなわち四四万一九一六円ずつをそれぞれ相続によつて取得した。

弁護士費用は、原告しづいが一八万八〇〇〇円(着手金一〇万円、成功報酬八万八〇〇〇円)、他の原告は四万四〇〇〇円(成功報酬分)ずつ出損した。

六  よつて、被告らは、各自原告しづいに対し金一〇七万一八三三円およびうち弁護士費用分を除く金八八万三八三三円に対する本件不法行為の日である昭和五一年四月一七日から右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、その他の原告に対し各金四八万五九一六円ずつおよびうち弁護士費用分を除く各金四四万一九一六円に対する前同年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告らはその支払を求めるため本訴に及ぶ。

被告宮内は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として「請求の原因第一項の事実は認める。同第二項の事実のうち、本件事故現場で道路舗装工事中であつたことは認めるが、事故の状況については全面的に争う。同第三項の事実中、(一)被告宮内の責任は争う。同項(ロ)のうち工事中についての注意等は何らされていなかつた事実は認める。同第四項の事実は争う。」と述べ、抗弁としてつぎのように述べた。

一  被告宮内には本件事故発生について過失は全くない。

本件事故は、訴外白瀧洸が工事現場の道路段差に自車バイクの前輪を落してバイクからふりとばされたものであり、後続車両を運転していた被告宮内に、前車の運転手白瀧洸自らの過失によつて道路上にとばされることまでも予測して運転する注意義務はない。

二  被告宮内は、自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことはもちろん、被告車に構造上の欠陥や機能障害はなかつた。

三  仮りに、被告宮内に過失があつたとしても、被害者の過失は重大で五割程度過失相殺すべきものである。

被告会社は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として次のように述べた。

一  請求の原因第一項の事実は不知。

二  同第二項の事実中、本件事故のあつた道路は幅員六・九米でほぼ東西に走る舗装アスフアルト路で見透しのよい道路であることは認めるが、直線道路ではなく、那珂町鴻巣方面に向いゆるい右カーブとなつている道路である。

被告会社が本件事故現場付近で建設省から受注した路面舗装一部改良工事の施工中であつたことは認める。北側半分のうちセンターラインから約〇・五ないし一・〇米離れた地点で長さ一五米、幅三米の長方形の部分のみ工事中であり、従つて戸崎交差点に向つて左側車線のうち右工事部分(北側半分・長さ約一五米)のみ通行禁止であり、南側半分の車線は通行可能であつたこと(片側通行であつたこと)及び南側半分の車線が三・四五米であつたことは認める。

右長方形の部分は表面のアスフアルト部分は掘りおこされ平にならされ砕石が敷設されており、通行可能な部分の路面より約五糎低く段差があつたことは認める。

通行禁止或いは片側通行という交通規制標識なく柵もなく、警戒人員の配置もなかつたという点は否認する。工事人夫もお茶飲みのため近くには居なかつたという点も否認する。

白瀧洸がバイクを運転して本件道路を西から東へ(那珂町林業試験場から同町鴻巣戸崎交差点に向つて)進行したことは認める。

白瀧洸が運転したバイクがあおられて段差の左下(北下)へ落ち込んだこと、工事区間が掘り下げられたため、路面が「重さと速さが加つて」不安定となり強く振動したことはいずれも否認する。

その余は不知。

三  同第三項(二)の事実中、工事区間の部分は有効幅員が狭く、五糎の段差があり追越不適な所であつたこと及び工事中(追越不適)又は片側通行禁止の標識を作り、工事中には警戒人員に交通規制をさせる等、交通の安全をはかるべきものであることは認めるが、その余は認否する。

四  同第四、五項の事実は不知。

五  同第六項は争う。

六  被告会社の主張

(一)  亡白瀧洸について

亡白瀧洸は、那珂町大字戸崎一五五三番地の自宅の一部を利用して表面上は自転車の修理業を営んでいることになつているが、その実は殆んど自転車などの修理の仕事に精を出すようなことはなく、毎日酒を飲み、長年の飲酒からアルコール中毒症に罹つている者であり、四六時中酒気を帯びて酒くさく、中毒症のため視力が減退しても意にせず危険をかえりみず単車を運転して外出していたのである。本件事故の際にも荷掛にはウイスキーを積んでいたのである。

(二)  本件事故現場

本件事故が発生したのは、昭和五一年四月一七日午後四時過ぎ頃であり、事故現場は国道一一八号線上の那珂町大字戸崎通称戸崎十文字(戸崎交差点)の西方約一五〇米の地点で同所一六一〇番地先である。事故現場付近の道路は那珂町林業試験場から同町鴻巣戸崎交差点に通ずるほぼ東西に走る有効幅員六・九米で戸崎交差点に向つてゆるい右カーブとなつており、さらに戸崎交差点に向つて左側は道路の外側線の外側にふくらみのアスフアルト舗装部分(ふくらみ部分の最大幅約八米)があり見透しのよい場所である。

被告会社は、本件事故当時右ふくらみの部分に道路工事用特殊車両四台を駐車させ、現場監督塚原忠志の責任のもと工事中であり、現場付近には七、八車の作業員がいた。本件事故現場付近戸崎交差点に向つて左側東線の部分のうちセンターラインから約〇・五ないし一・〇米離れた地点から幅三米、長さ一五米の長方形の部分について表面のアスフアルトを掘りおこし、その下部(略体)を改修しその上に砕石を敷設しその上部は固められている状態であつたが、路面のレベルより約五糎右の長方形の部分が低くなつていた。

被告会社は、右のような路面一部改修工事のため、工事現場から林業試験場方面に一〇〇米、三〇〇米の各点に工事中片側通行禁止の各標識を設置したほか、右長方形の工事中の路面の周囲には長さ一・二米、高さ七六糎の防護柵を設置し、その防護柵は黄色と黒色の色がつけられていたほか、夜間用の保安灯も準備されていたが、事故当時は午後四時過ぎであつたが明るく通行に支障はなかつたので、右保安灯は設置されていなかつた。

以上のように、被告会社としては交通の安全のため万全の保安措置をとつていたのであつて、被告会社には道路工事中に講べずき標識の設置など危険防止のためにとるべき措置について何らの過失もない。

(三)  予備的過失相殺の主張

亡白瀧洸は、事故当時現場付近には道路工事用特殊車両四台を駐車させ、作業員もおり、路面一部の改修工事中であつたこと、特に進行方向直前(左側)には防護柵が設置してあつたのであるから、後方から進行してきたトラツクと自車の進路の安全を注意すれば容易に自車の転倒はさけ得たのに拘らず、トラツクの進行直前を道路改修のためアスフアルトを掘り起した部分の側端を通りぬけようとし、ハンドル操作を誤り、自らトラツクの側面に転倒したものであつて、同人に過失があることは明らかである。その過失率は少くとも五割を越えないものであるから、原告らの主張する損害額は二分の一となり、すでに自賠責保険金をもつて全額補填されて余りがある。〔証拠関係略〕

理由

一  当事者間に争いない事実に成立に争いない乙第一号証及び証人田口敏夫の証言によれば、亡白瀧洸は昭和五一年四月一七日午後四時頃茨城県那珂郡那珂町大字戸崎一六一〇番地の九地先道路(県道)上において、被告宮内運転で同人の保有する宮内車にひかれて即死したこと(以下本件事故という)を認めることができる。

二  本件事故発生の原因について判断するのに、前記乙第一号証、成立に争いない乙第二号証、証人細谷利治、同木村節子、同田口敏夫、同塚原忠志(一部)の各証言及び原告白瀧しづい本人尋問の結果を総合すると、次のような事実が認められる。

(一)  事故現場の道路は、那珂町鴻巣方面(東方)に向いゆるい右カーブとなつている見通しのよい幅員六・九米のアスフアルト舗装道路で、センターラインが路面に標示されており、鴻巣方面に向つて左側外側線の外側に舗装されたふくらみ部分があるが、車道部分との境を示す右外側線は一部消滅している。

そして鴻巣方面に向つて道路左側部分(センターラインの五〇糎ないし九五糎内側)には被告会社が施行中の道路工事現場があり、長さ一五米、幅三米のほぼ長方形に道路の表面アスフアルトが深さ五糎位にわたつて掘り起され、工事中の部分の中は砕石が入れられて平らにならされており、センターライン側の道路面と五糎位の段差ができており、また路面は工事に使用した水のため一部が湿潤し、道路交通上危険な状況になつていた。

(二)  しかし右長方形の工事部分にはその周囲に歩行者や通行する車両等が落ち込まないようにするための防護柵は施されておらず、危険を表示する警告灯の類いも何ら設置されておらず、事故発生時は作業員も作業を終つて帰つてしまい、被告会社の現場監督である塚原忠志が作業終了時刻の午後四時半頃まで居残るつもりで前記のふくらみ部分の辺りに手持無沙汰に佇立していただけであつた。

(三)  被告宮内は、事故現場の手前(西方)六〇米位にいたつた時前方二一米位のところを亡白瀧洸がバイクに乗つて先行しているのを発見し、右洸が前記工事個所を避けるべくセンターライン寄りに走つて行つたのにつれて宮内車もセンターラインを越えて右側部分にはみ出して進行し、右工事個所の右側部分で右洸のバイクを追い越す態勢となつた。しかし右宮内車はそのまま右車道の右外側線から二米位内側のところを時速四五粁位の速度で進行し、センターラインと右段差のある工事個所との間を進行していた右洸のバイクの右後方一〇米位のところに迫つた。そのとき、右洸のバイクがスリツプして車輪を前記工事個所の段差に落としてふらついたので、被告宮内は、危険を感じて急ブレーキをかけ、ついでその直前五・三米位の個所で右バイクが右斜め前方にふつ飛んだので急遽右にハンドルを切つたが間に合わず一三・六米位進行して停止したもののバイクから振り落された右洸の頭部を後車輪に巻き込んで即死させた。

以上の事実を認めることができ、証人塚原忠志の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に対比してたやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によると、被告宮内としては、片側が道路工事中で幅員四米位の片側のみ通行可能の場所で先行するバイクを追い越す態勢となつたのであるから、右バイクが不安定な構造であること及び自車が大型車であることに留意して右個所での追い越しを避けるか、あるいは徐行してこれとの間隔をなるべく広く空けて追い越し、もつてこれとの接触等の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り漫然四五粁の高速度で右バイクとの間にさして間隔もとらないで追い越しの挙に出でた点に過失があることは明らかであり、また被告会社としては、右のように道路の左側半分の道路工事を施工中で、相当範囲にわたり路面と五糎位の段差を生ぜしめ、片側のみ通行できない状態を作出せしめていたのであるから、工事休止中は右工事施行部分の周囲全面に歩行者や車両等の落ち込むのを防止するため完全な防護柵を設けることはもとより、片側通行禁止あるいは一方通行等の交通規制を示す警告灯その他の標識を設置して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、何らの防護措置、警告措置も講じなかつた点に過失のあることが認められ、右被告両名の過失が競合して本件事故を惹起したものと認めるのが相当である。

なお、被害者である亡白瀧洸においても、かような危険な個所を進行するに際しては、バツクミラー等によつて後方から大型車が追い越しにかかつてきたことは容易に察知できた筈であるから、右工事個所の手前で待避して宮内車をやり過ごすか、或いは工事個所に差しかかつてからでも直ちに下車して右工事部分に逃避するかすれば、容易に本件事故を避け得たと思われるので、この点において同人にも過失があつたものと認めるのが相当であるが、この点の過失は被告らの重大な過失に対比すれば誠に軽微であつて損害額の算定に当つてこれを参酌する必要はないものと認める。

してみると、被告宮内の免責の抗弁はもとより理由がなく、同被告は自賠法三条本文もしくは民法七〇九条により、また被告会社は民法七〇九条により各自原告らに対し本件事故による損害を賠償する責任がある。

三  そこで原告らの主張する損害額について検討する。

成立に争いない甲第一号証、第四号証、第六号証、官署作成部分の成立に争いがないのでその全部が真正に成立したものと認める甲第三号証、原告本人白瀧しづいの供述によつて成立を認める甲第二号証及び原告白瀧しづい本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  亡白瀧洸は、大正七年三月三日生れ、当時五八歳の健康な男子で、白瀧輪業なる屋号で自転車、単車の修理販売、農機具等の修理、ガス熔接等の事業を一人でなし、一ケ月少くとも一〇万円の実収をあげていた(前記甲第二号証の三枚目以下の記載によると、その一番右側らんの数字が実収金額を示すもので、昭和五一年一月分の実収入は金一一万九九五〇円、同年二月分は金八万三一五五円、同年三月分は金一九万七四五〇円と記載されていることが窺われ、従つてその二枚目表の昭和四九年度の一月ないし一二月までの合計金一四四万一五三〇円、昭和五〇年度の一月ないし一二月までの合計一四五万三六九五円と記載されている数字も各当該年度の実収入を示すものと理解できる)ものであつて、本件事故に遭遇しなければ、その年齢、健康状態及び業務の内容等からみて六八歳にいたる向後一〇年間は右営業を継続して同程度の収入を得べかりしものと推測し得、同人の生活費は多くとも原告らの主張する一ケ月三万円を越えることがないからこれを控除し、その残りの純収入につきホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して事故当時の一時払額に換算すると

(10―3)万円×12×7,945(ホフマン係数)

なる算式により金六六七万三八〇〇円となる。

(二)  葬儀費用は、墓碑建立費を含めて金五〇万円をもつて相当とする。

(三)  死亡に際して医師の診断を受け、診断書代とも金一万一五〇〇円を支払つた。

(四)  亡洸は、妻の原告しづいが一人で椅子一台の床屋をやつてはいたが一ケ月八万円位の収入しかなく、長男の原告信一郎は肩書地で理容業を営み、長女の原告勝枝は東京に出て会社勤めをしているが、二、三男の原告三郎、同道夫は未だ身が固まらず、右洸が一家の支柱となつて働らいていたもので、昭和四六年には蓄えた貯金をはたいて自宅を建築し、子供らの将来を楽しみにして生活していたのに、突如として本件事故によつて無惨な死を遂げたもので、これを慰藉するには金一〇〇〇万円をもつて相当とする。

(五)  原告らは、本件事故による損害賠償請求のため原告ら代理人弁護士に訴の提起、遂行方を依頼し、原告しづいが着手金として金一三万円を支払い、なお認容額に対する一割相当額を成功報酬として支払うことを約した。

右に認定した事実によると(一)ないし(四)の合計額は金一七一八万五三〇〇円となるが、うち金一五〇〇万円は自賠責保険金によつて填補ずみであること原告らの自陳するところであるから、これを控除すると残額は金二一八万五三〇〇円となる。

従つて、右洸の死亡により法定相続によつて、原告しづいはその三分の一に当る金七二万八四三三円、その他の原告ら四名は各六分の一ずつに当る金三六万四二一六円ずつの各損害賠償請求権を取得したものというべく、被告らに賠償を命ずべき原告らの弁護士費用は右認容額及び訴訟の難易等一切の事情を勘案すると原告しづいにつき前記着手金一三万円、成功報酬分金五万八〇〇〇円合計金一八万八〇〇〇円、その他の各原告につき成功報酬分各金三万六〇〇〇円ずつをもつて本件交通事故と相当因果関係の範囲にある損害と認めるのを相当とする。

四  以上の次第で、原告らの被告両名に対する本訴各請求は、原告しづいにおいて金九一万六四三三円及びうち弁護士費用分を除く金七二万八四三三円に対する本件不法行為の日である昭和五一年四月一七日から右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、その他の原告ら四名において各金四〇万二一六円及びうち弁護士費用分を除く金三六万四二一六円に対する前同昭和五一年四月一七日から右完済まで前同割合による遅延損害金の各自支払を求める限度において正当としてこれを認容すべく、その余はいずれも理由がないから失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋久雄)

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